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腰椎が疲労骨折しました

腰を疲労骨折した

インパクトが大きくなるようにあえてアバウトな表現にしましたが、詳しくは腰椎分離症になりました。

僕は今までの人生21年間で一度も骨折は経験したことがなく、一番重症の怪我は左ハムストリングの肉離れか高跳びをしているときに負傷した左足首の捻挫程度でした。

初めての経験だからこそわからなかったこと、そして腰椎分離症になった今わかることを書きとめようと思います。

腰椎分離症とは?

一般的に腰の負傷と聞くと、「ぎっくり腰」か「椎間板ヘルニア」を思い浮かべると思います。

僕が発症した腰椎分離症はそれら二つとはまた違う怪我であり、その違いを説明します。

ぎっくり腰とは

ぎっくり腰は正式には急性腰痛症と呼び、その名の通り突然腰に痛みが走る疾患のことを言います。

原因は様々あり、筋・筋膜性腰痛、椎間板ヘルニア(後述)、関節や靭帯の損傷などで起こります。

これは主に加齢や運動不足により起こる怪我です。

椎間板ヘルニアとは

椎間板ヘルニアはヘルニアの一種です。

ヘルニアとは体の中の一部があるべき場所から出てきてしまった状態のことを言い、ここでは椎間板という椎骨(背骨を構成する骨)の間にあるクッションが飛び出ている状態のことを言います。

原因はぎっくり腰と同じように加齢・重いものをもったときの負荷などが考えられます。

椎間板ヘルニアの場合は、腰だけでなく足の痺れやいたみも伴います。

参考文献:

www.jnj.co.jp

腰椎分離症とは

改めて腰椎分離症の説明をします。

背骨から腰骨の境目らへんにある腰椎という骨の後ろ側はリング状になっています。

腰椎分離症とはそのリングの部分が途切れるように折れてしまう(分離してしまう)怪我で、症状的には疲労骨折と同等のものです。

画像などあればわかりやすいのですが、著作権上の問題で画像を転載することはできないので「腰椎分離症」で調べるとレントゲン画像や骨の画像が出てくると思います。

腰椎分離症は上2つの怪我とは種類がちがく、成長期にジャンプや回旋などの運動を繰り返し行うことで起こるもので、比較的10代で起こるとのことです。

また、腰椎分離症の怖いところは分離すべり症に進行する危険性があるということです。

分離すべり症とは?

分離すべり症は腰椎分離症のパワーアップしたバージョンと簡単に考えることができます。

腰椎分離症の説明でリングに亀裂が入ると言いましたが、そのリングの両端に亀裂が入り、半円と半円の2つに別れてしまった後、元に戻れないくらいに前側の腰椎がさらに前に移動してしまったものを言います。

こうなると骨の結合は期待できなくなり、一生を腰痛と共に過ごすことになります。

参考文献:

www.joa.or.jp

診断されるまでの経緯

皆さんもご存知の通り(?)、僕は陸上競技をやっています。その中でも専門としているのは十種競技という、走る・跳ぶ・投げるを全て行う種目をやっています。

試合における負担はニュースでも時々とりあげられるくらい有名ですが、練習でも身体への負担は高いです。特に僕は練習時間が短いので、思いっきり走った後に投げなければならない・跳んだ後に走らなければならない状況は数多くありました。

それらの負担は自分の中では大丈夫だと思っていても、蓄積されて骨までいってしまったのが原因であると思われます。

2018年11月

今から遡ること半年、2018年11月になります。

シーズンが終わりを迎える直前で、僕は最後の十種競技の記録会を控えていました。その試合は当日になって手動計測に変更になり、記録は出しても非公認になる記録会だったので、特に本気でやろうとは思っていなかったです。

しかしフィールド競技に関しては正式な記録となるので、僕は関カレ標準に未だ届いていない走高跳で記録を狙いに行きました。

結果はPB-1cmである195cmを成功、関カレ標準である2mもかなり惜しい跳躍ができかなり満足していました。 そのときは特になにも感じていなかったのですが、2日目の第一種目である110mHが終わった後に腰に激痛が走りました。

正直走り終わった後は歩けないくらい痛かったですが、少し安静にしたら比較的楽になったので「走高跳で筋肉硬くなっちゃったのかな」程度にしか思っていませんでした。

その後の十種の種目については棄権しました。

記録会の後は試合もひと段落して、ちょうど間に大学の文化祭があったためいい感じに運動をやめることができていました。

一ヶ月ほどすると痛みは完全に無くなっていて、通常通り練習に復帰できました。

2019年3月

それから数ヶ月経った2019年3月、かなり嫌な事件がおきます。

人工芝でコントロールテストを行った際、ホッピングを計測しようと一歩目を踏み切った際(最初の一歩)地面が滑って思いっきり海老反りをするような姿勢になってしまいました。

その時は一瞬でしたが激痛が走り、このときもまた立っていられないくらいの痛みがありました。

この時に笑っていた部員には正直ムカつきました。

一瞬の痛みのあとは特になにもなかったので、かつ目標としていた関東インカレまであと2ヶ月という大事な時期にこんなことで練習を休んでいられないという焦りの気持ちもあり、すぐに練習に復帰しました。

今思えばこの選択は間違っていたのかもしれません。

その週の土曜日、メニューはいつも通りの300m×3のレペティションでした。

最初の一本は普通に走れていたのですが、二本目になって走り終わった後11月に経験した痛みと同じ痛みが走りました。

11月に痛んだ部分は腰の右側でしたが、今回は左側です。

どうせ前も1ヶ月で治ったし、今回も同じ感じだろう、と少しこの痛みを軽く捉えていました。

そこから特に病院にも行かないまま春合宿がすぎ、それから4月手前になります。

痛みはまだ引かず、さすがにこれでヘルニアとかだったらまずいという親の心配で大学の付近にある整形外科でレントゲンを撮影しました。

結果はとくに異常なしで、「頑張りすぎちゃったかな〜」と言われただけで、湿布を処方され終わりました。

この時点で自分の中では筋・筋膜性腰痛の可能性がかなり高いと判断していました。

2019年4月

新歓が始まり、このタイミングで風邪を引き、怪我もしてるからちょうど休むいい機会だと思って数日休んだものの腰痛は一向によくなりませんでした。

昔通っていた整骨院にも通い出し、鍼を打ってもらいながら練習に中途半端に参加するような日々が続いていました。

関カレまであと1ヶ月、ここから負荷を重くスピードを上げていかなければいけない時期なのに練習がうまくできない、とかなり焦っていたと思います。

腰痛が完全に治っていないながらも強引に走るようなことが時々ありました。

すると、痛かった左の痛みがなくなり再び右が痛み出します。このときは完全に筋肉のバランスがおかしくなってしまったのだと誤解して、違う対処の仕方ばかり試していました(湿布をはる、フォームローラーを使うなど)。

2019年5月

しかしそれでもよくなりません。関カレまで1ヶ月を切る直前になって、急激に不安に襲われました。

このままだと関カレにでれないかもしれない、とりあえず2週間完全に運動をやめて絶対になおさなければいけない、と。

そこでようやくきちんとしたスポーツ整形外科に行くことを決心します。

しかし決心したちょうどその日はゴールデンウィークの始めで、病院はしまっていました。

正直ゴールデンウィークは全然楽しくなかったです。

GW明け、後輩のおすすめの整形外科に電話してみましたが、予約が埋まっていて6月以降の予約しかとれないと言われます。さすがにそれは遅すぎなので、自力で探しました。

探す決め手になったのは「MRIの設備があるかどうか」です。

レントゲンで異常がでなかったのならもうMRIでしか異常は判定できないと思ったためです。

吉祥寺に一つだけMRIがある整形外科があることを知り、診断を受けました。

正直自分のなかでは関カレに出れないかもしれないという気持ちはありましたが、それでも出ることに意味のある大会だと思ったので出ることを前提にお医者さんと話を進めました。

MRIを撮影する日、これで異常が出なかったらこの痛みはなんなんだろう、割とそっちの方が怖いな…と思いながら撮影されました。

ゴウンゴウンうるさかったけど、ヘッドフォンから流れるいい感じの音楽を聞いていたら寝ていました。

撮影が終わっておきた瞬間、「君、レントゲンはとったんだよね?」と聞かれました。

はい、と答えると、「いや、腰椎分離症っていうのがあってね、でもレントゲンが大丈夫なら大丈夫か」という普通に言われました。

寝起きだったのでファッ、なんやそれは…とビビったのを覚えています。しかしそれは事実でした。

診察室に呼ばれると、MRIの画像をみながら説明されました。「じゅぎのんくん、これは腰椎分離症だね」「はぁ…」

症状は第4腰椎の腰椎分離症でした。しかもその時にわかったことですが、右と左両方のリング部分が分離していました。分離すべり症が起こる前段階だったようです。

ちなみになぜ最初のレントゲンでそれが発覚しなかったのかというと、実はMRIをとった後にも疑惑がのこったのでもう一度レントゲンをとりましたが異常はみられませんでした。

MRIでしか見えないくらい小さな骨折だったみたいです。

これが骨折なのか、と思いました。正直走れないほどの激痛でもないけど、でも痛みで全力は出せない程度。

思い返すと、この冬はかなりウエイトの量が増え、練習の質もあがっているのにも関わらず完全休養日が少なさすぎたような気がします。

練習をすればするほど強くなるというような脳筋の考えが支配していて、また学部最後の関カレということもありかなり気分も上がっていました。

その結果の疲労骨折です。

ひとまず部員と先生と親にだけ報告して、これからどうしようか考えました。先輩の助言のおかげで冷静に考えることができ、その時点で関カレを棄権することを自分の中で決めました(それでも1週間は諦めきれなかった)。

腰椎分離症と診断された帰り道に少しだけ涙が出ました。一人で帰っているのに、吉祥寺の居酒屋の前で客引きのお姉さんに「唐揚げどうですか?」と言われてさらに泣きたくなりました。

この怪我から学んだこと

怪我から学べることはかなり多くあります。

今回怪我した後に思ったことは

  • 過度に頑張りすぎることは逆によくない

一日に100mを20本走ったところで100mは速くなりません。

それくらいわかるわってかんじでしょうが、試合に対しての焦りとかがあると、どうしても練習量は増えがちです。そこを考えられてこそ真の選手だと思います。

僕は練習を休むことに対しての恐怖に勝てませんでした。

  • 異常が出る前にやめる、出てしまったら早めに診断を受けるべき

常日頃から自分の身体を触っておくことは大事です。走っている途中に異変が生じても、アドレナリンでその痛みは小さくなっていることが多いです。

少し痛いなと思ったらその時点でよく考えるべきだったと今は思います。

ほかにもコルセットをつけてからわかったこと、いろいろありますがそれは復帰してから書きたいと思います。

今後の予定

診断の1週間後、オーダーメイドのコルセットが完成し、そこから2ヶ月ほどはコルセット生活だと言われました。現在コルセットをつけて10日ほど経ちますが、割と慣れてきました。コルセット生活を振り返るのはまた次回無事外れてからにしたいと思います。

2ヶ月後、再びMRIをとって骨がくっついていることを確認できたら、競技に復帰します。スケジュール的には夏の対校戦で落ちた体力・スピードを再び上げなおす夏合宿ごろからの復帰になります。

それまではこれまでを反省してちゃんと安静を維持します。その間でもできる運動はきちんと行い、復帰後もスムーズにできるように備えておきたいと思います。

正直泣くほど悔しい決断をしましたが、もう学部最後の関カレは終わってしまいました。僕はみんなの前では明るくいたいので、復帰までいつもと変わらずに頑張ります。

年明けに宣言した目標である「関カレでの入賞」と「怪我しない」の二つは残念ながら達成できませんでしたが、「27大で優勝」の目標を叶える自信は日をまたぐごとに大きくなっています。華々しい復活を遂げるので弊学陸上競技部は期待していてください。

私の熱い陸上(アイドル)活動!アイカツ、始まります!!(フフッヒ